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興亜とは?/ セントラルファイナンス

[ 1312] 日本興亜損害保険 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%88%E4%BA%9C%E6%90%8D%E5%AE%B3%E4%BF%9D%E9%99%BA

2001年4月1日に日本火災海上保険株式会社と興亜火災海上保険株式会社が合併して発足。さらに2002年4月1日に太陽火災海上保険株式会社と合併している。
特定の金融グループに属さない独立系の保険会社であったが、UFJグループ(旧三和銀行)と親密であったことに加え、フィナンシャルワンに発足当初から参加していることなどから、現在はUFJ系とみなされることが多い(ただし、日本興亜損保では現在でも自らを独立系としている)。近年、明治安田生命保険とも親密となっている。
東京都中央区に本社を置いた損害保険会社。大手五社(東京海上・安田火災・住友海上・大正海上・日本火災)の一角に数えられた。1944年、東京の日本火災保険(川崎財閥)と大阪の日本海上保険が対等合併して成立。戦後、三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)をメインバンクとしたが、第一銀行(現在のみずほコーポレート銀行・みずほ銀行)の第一原子力グループにも参加。特定の銀行・企業グループが薄い会社とも言われた。東京地区では長年ラジオの文化放送で「救急速報」「火災速報」「セーフティインフォメーション」を提供していた。末期には俳優の段田安則をCMキャラクターに起用。「日本火災ください」をキャッチフレーズとしていた。
東京都千代田区に本社を置いた損害保険会社。1944年、大北火災保険、尼崎海上火災保険、辰馬海上火災保険、神国海上火災保険の4社が合併のため解散して大阪市に興亜海上火災運送保険を設立。1948年東京に本社を移転。1954年興亜火災海上保険に改称した。三和銀行をメインバンクとし、また旧大北火災保険の大口出資者が日本通運だったことから、日通との関係が深かった。キャッチフレーズは「まさかのために興亜火災」。末期のCMキャラクターはタレントで司会者の関口宏を起用していた。1981年から1984年までの4年間、後楽園球場のバックネットに広告を出していた。
東京都千代田区に本社を置いた損害保険会社。1951年大倉財閥をバックに設立。1967年、太陽生命保険、日本相互銀行(のちの太陽銀行。現在の三井住友銀行)と包括業務提携を結ぶ。太陽生命同様、保険商品に「ひまわり保険」の商品名を使用。太陽生命・太陽神戸銀行と連携した商品販売を行っていた。太陽生命が大同生命と提携することで三和銀行系に移籍したのに伴い、太陽火災も三和銀行系の日本興亜損保に急接近し、結局合併した。
2003年11月6日、同社の子会社である日本興亜生命保険所属のある保険代理店が生命保険の販売に当たり、違法な保険募集(虚偽説明、重要事項の説明不足、無登録募集)を行っていたが、同社はそれを知りながら、同代理店への監督責任があるにも関らず同代理店の違法行為を放置し続けた。これを重く見た金融庁は、同社に対し12日間の業務停止命令および業務改善命令の行政処分を言い渡した。[1]
こうした保険金の不当不払いが相次ぐ中、2007年4月1日から当時社長の松澤建が代表権の無い会長職へと退くことが2007年1月12日に発表された。[10] 松澤は大量不払い問題による引責辞任であることを否定したが、事実上は引責辞任と見られている。[11] なお、この発表以降に金融庁から何らかの行政処分が下された場合は、松澤は会長職も辞任する意向を示していたため、同年3月14日の行政処分を受けて会長職には就かない可能性が一時は濃厚となったが、結局は会長職に就任した。[12]
^ 日本興亜損害保険 平成18年10月31日 第三分野商品の不払事案に係わる検証結果および保険料払込免除手続の未実施事案の自主調査について
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