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拒否とは?/ セントラルファイナンス

[ 495] 登校拒否研究室
[引用サイト]  http://www.toukoukyohi.com/

心には意識の心、習慣の心、潜在意識にあり命に直結する情動の心とが有ります。この三つの心を見据えて心を分析しています。
【表紙・登校拒否・いじめ・引きこもり・青少年問題・心の傷・鬱病パニック障害・童話・絵本】 <説明付きメニュー>
登校拒否、不登校、引きこもり、問題行動などを起こす辛い状態の子ども達を(心の)弱者と表現しておきます。この場合の弱者とは、人間社会の中で心が弱い立場にあるといういみで、決して悪いとか、劣っているとかの意味ではないです。弱い立場にあるから、親や大人たちから守られる必要があります。親や大人達が守る必要があるので、社会的な弱者という観点から、弱者と表現しています。繰り返しますが、決して悪いこと、劣っているという意味ではありません。
子どもはある状況下で大人とは違った反応や行動の仕方をします。その子どもへの対応の仕方には大きく分けて二通りの方法があります。積極的で元気な(以下強者と表現)子どもには、今まで親や大人が持っている知識や経験から対応してよいです。辛い状態で元気のない(以下弱者と表現)子どもには、今の大人が知らない子ども特有の対応の仕方があります。弱者の子どもを守り育てるためには、弱者の子ども特有の対応の仕方を親や大人達は理解する必要があります。
弱者の子どもへの対応法は、辛い状態の幼稚園、小学校、中学校、高等学校の子どもに当てはめられます。また強者の子どもにも当てはめて良いですが、子育てという観点から効率が悪くなるなります。強者の子どもには大人が持っている常識で対応できますし、その方が子どもの能力をよりいっそう高めることができる場合があります。
弱者の子どもへの対応は子どもへの信頼から始まると言っても過言ではないです。親や大人が弱者の子どもを信頼するという意味です。ただし親や大人が弱者の子どもを信頼していると思っていても、子どもの方で信頼されていると感じない限り、子どもを信頼したことにはなりません。
弱者の子どもへの対応は信頼ですが、常識が当てはまらない場合が多いで、親や大人は弱者の子どもを信頼しているつもりでいても、実際には常識から対応をしてしまい、弱者の子どもからは親や大人から信頼されていないと思われてしまう場合が多いです。弱者の子どもへの対応には非常識な対応が多いです。弱者の子どもへ具体的にどのように信頼を表現すのか、多くの大人は迷っています。ここでは弱者の子どもへの信頼とは何かについて述べてみます。
親や大人達が弱者の子ども達と関わるとき、その子どもを理解するために子ども達の話を聞くことから始まります。その際の注意点を箇条書きにしておきます。
(1)子どもの話を制限時間なしに聞く。その際に共感のみを示して、大人の思いや判断を述べない。大人の理由を付けて理解しようとしない。
子どもは男の子でも、女の子でも自分の思いを信頼できる人に話したがります。話を子どもから聞き出す必要もありません。子どもに信頼感を与える一つの要素として、子どもの話を聞こうとする大人の態度が大切です。話を聞き出そうとすると、子どもは自分をガードしようとします。よい子を演じて素直に自分の思いを話そうとはしなくなります。また、子どもに自分の思いを素直に話して貰うには、子どもの思いを遮らないようにしなければなりません。そのために子どもの思いに共感だけを示して、聞いている大人の思いを出さないようにする必要があります。子どもは受けた刺激に素直に反応して行動していますから、そこには大人の考えるような理由はないです。ありのままの子どもの行動を子どもはそうせざるを得なかったという形で理解してください。
(2)子どもの話を聞く際に生じた無言の時間を大切にする。決して会話を促さない。親や大人が聞きたい話を聞き出そうとはしない。子どもから話してくるのを時間をかけて待つ
子どもは自分の思いを信頼できる人に話したがります。子どもが話すのを止めたらそれは話すことがなくなったのか、相手の大人を警戒して話すのを止めたのか、そのどちらかです。話すことがなくなったのに、会話を促すことで責められたと子どもは感じます。また子どもが相手の大人を警戒しているときには、ますます警戒を強めてしまいます。子どもはよい子を演じて、子どもの思いを素直に話さなくなります。
大人と違って子どもは受けた刺激に素直に反応して行動します。その反応の仕方は子どもが親からの遺伝として受け継いだもの(本能)、自我が成立するまで(3,4歳頃まで)に持って生まれた反応の仕方で、主としてまねをすることで母親から受け継いだもの、その子どもの年齢までに社会生活をして、親からの遺伝や主として母親から受け継いだものを用いて反応した結果の経験から反応しています。この事実から子どもが反応し行動する要因の一番の根底にある子どもの本能を最優先して考える必要があります。
(3)で指摘しましたように子どもの反応の仕方は親から遺伝として受け継いだ本能から、その本能を用いて主として母親から受け継いだもの、それらを用いて社会生活をした経験からできています。そこには子ども自身の意図はありません。遺伝と環境とでできあがっていて、子ども自身にはどうにもできないのです。それを否定されたら子どもは葛藤状態になり、とても辛くなり、回避行動を起こしてしまいます。子どもが身につけている反応の仕方を肯定されると、子どもは子どもの持っている本能から周囲に、社会に順応するように反応するようになります。つまり子どもの問題点を子ども自身が自分から解決してくれるのです。
(5)子どもの話や行動に問題点を感じたなら、子供がそのような問題点を持つようになる外因があると考える
子どもは周囲から受ける刺激に素直に反応して行動しています。一見子どもの意志のように見えるときもありますが、それすら今まで子ども自身が経験の中で作り上げてきた反応の仕方に沿って反射的に反応しているだけです。つまり普段から問題行動をしていない子どもが突然問題行動を起こすようになったなら、子どもが問題行動を起こさなくてはならない何かの刺激を受けてその結果問題行動をしてしまっていると考えられます。子どもには大人のような善悪などの価値判断を伴った意図的な行動はないです。子ども自身に問題があって子どもが問題行動を起こしたと考えたなら、その辛い子どもを守ることができなくなります。
それは問題行動ばかりでなく、子どもが出す病気を思わすような症状についてもおなじように考えられます。子どもには心の病はないです。子どもが心の病を思わせるような症状を出したときには、子どもがその病的な症状を出さなくてはならない何かの刺激をうけて、その結果病気を思わせるような症状を出していると考えられます。子どもに病気があると考えると子どもを病院に連れて行くことになります。医者は病気の症状があると病気だと診断してしまいます。医者が病気だというと親や大人はその子どもが病気だと信じ込んでしまって、その子どもが苦しんでいる原因が見えなくなってしまいます。その子どもが病気の症状を出すほど辛い状態にあることがわからなくなり、その辛い子どもを守ることができなくなります。
子どもは大人と違って、第一に子どもの持つ本能から、第二に母親との関わり合いの中で母親の反応をまねて、第三に自分の本能からと母親をまねた結果から、それらを使って社会生活をしてその経験から、反応したり行動したるします。子どもの心を考えるときには、この子どもの持つ本能を第一に考えていく必要があります。子どもは大人と違って、子ども特有の本能を持っています。その子ども特有の本能があるので、大人には子どもをなかなか理解できないのです。大人が子どもになったつもりで子どものことを考えても、自分が子どもだったときのことを思い出して考えても、それは依然として大人の考えであり、子どもの感じ方、反応の仕方、行動の仕方ではないです。子どもの本能を箇条書きにしてみます。
子どもが心身共に成長段階にあることはどの人も認めるところです。ただし放っておいても食べ物さえあれば一応体は育ちますが、心は育ちません。子どもの体と心が素直に育つには子どもが母親だと信頼する大人が必要です。子どもは信頼する母親に守られていると、子どもは本能的に自分自身が属している環境に順応するように、体も心も育っていきます。
大人は何も刺激がないと、じっとしていれます。子どもは何も刺激がないと、何かを求めて動き出します。子どもは大人と違ってじっとしていれないです。絶えず何かを求めて動き回っています。その何かを求めて動き回ることをエネルギーがあると表現します。心についてのエネルギーとは、何かを求めて何かをしようとする動機を言います。子どもの場合子どもの内部発生的なエネルギーがあります。それが大人との違いの一つです。
子どもは何かを求めて絶えず動き回っています。その求めている物は子どもにとって目新しい物です。すでに見慣れた物は子どもにとって刺激となっていないからです。そして何か目新しい物があったときには、その目新しい物に全力を挙げて挑戦していきます。そして新しい経験をしていきます。子どもなりの成長をしていきます。
子どもは自分の母親が大好きです。自分の母親に優しいです。自分の母親が喜ぶのが大好きです。子どもは自分の母親が喜ぶようにその子どものできる範囲で行動しようとします。自分の母親が喜ぶように行動を繰り返すことで、その子どもなりの性格を作っていきます。母親が喜ぶように行動をすることは、子どもは他の兄弟姉妹にも優しいことを意味しています。母親がそれを求めているからです。いくら兄弟姉妹の間でけんかをしても、基本的にはとても兄弟姉妹に優しいです。対外的にそして母親に何か問題を生じると兄弟姉妹は団結して兄弟姉妹や母親を守ろうとします。
大人は主として思考からと、それまでその大人が経験したことを基に行動しています。子どもは第一に子どもの持つ本能(心という意味では情動に属します)から、第二に既に母親を真似することで学習した情動行動から、第三にその子どもがそれまでに経験したことから、反射的に反応して行動します。大人のような思考行動はほとんどありません。
ですから子どもの心を理解しようとするなら、第一に子どもの本能に沿って、第二に子どもが既に学習した情動行動に沿って、そして第三に子どもがそのときまでに学んだ経験に沿って考える必要があります。
子どもはそのときまでに学んだ経験に反して行動することはできます。しかし本能や情動に逆らって行動することは基本的にできません。子どもの本能や情動に逆らった行動を求められたときには、子どもは大変に辛い状態になります。子どもの本能や情動に逆らった行動を求めるには、その辛さの代償として子どもにその辛さ以上の大きな喜び刺激(それをご褒美と表現しておきます)を与える必要があります。
「与えられた環境に順応しようとする」は、子どもは失敗があるかも知れないけれど、決して自分からは悪いことをしないと言う意味になります。自分の家庭、自分の学校、自分が属する社会、自分が属する国や文化に順応するように成長します。ですから、子どもが自分の家庭、学校、社会、国や文化に対して問題行動を起こしたなら、それは子どもに何か辛い刺激が加わっていて子どもが素直に成長できない状態にあると考えられます。
「自然に湧き出すエネルギーが大きい」とは、子どもは大人のように何もしないでじっとしていれないです。一人にしておいても何かをしだすと言う意味になります。何もすることがなくて退屈になると、自分で何か遊びや目的を作って動きまわります。その遊びに退屈すると次の遊びや目的を求めてもっと動き回ります。
「新しいもの(刺激)を求める」とは、子どもは新しい物を回避することもありますが、多くの新しい物に興味を持ち、新しい経験をどんどんしようとします。それは子どもには必ず進歩があることになります。子どもは新しい物に出くわすと、その新しいことは今まで経験していませんから、当然その反応の仕方に習慣化していません。その新しいことについて大人では想像もできないようなことをして克服したりします。失敗も多くします。その失敗を重ねて、子どもはその新しい経験を上手にこなすようになります。そのようにして子どもの身につけた反応の仕方や生き方はその子ども特有な物ですから、親の価値観と違って良いということにないります。
「優しい。特に、母親が喜ぶのが好き」とは、子どもは特に教育しなくても、子どもの方から親が喜ぶことを子どもは自分からすることになります。子どもと母親の間に信頼関係がしっかりとできている限り、子どもについて母親は基本的にしつけをしたり、勉強を要求する必要がないです。子どもの方から母親が喜ぶ行為をするからです。
「子どもは刺激に素直に、精一杯、反応して行動する」とは、子どもには怠けやずるはありません。子どもはその瞬間瞬間について、受けた刺激にめいっぱいのことをして反応しています。それは結果的に子どもはその瞬間瞬間をその子どもなりに精一杯のことをして過ごしている、能力の限りのことをして反応しているという意味にもなります。
その行動の仕方は刺激に反射的な反応です。子どもには意識的な行動ができないか大変に下手ですから、大人が子どもに「何かするときにはもっと考えて行動しなさい」と言っても、それは子どもにとって無理なことになります。子どもは教えられた知識からの行動がとても難しいです。子どもは理屈や理性から行動できないです。親や大人の思うように動けないです。
動物は体内外の状況を感覚器で感じ取って、その感じ取った情報について反応して行動します。感覚器で感じ取れる体内外の状況を刺激といいます。その刺激について子どもは大人と違って子ども特有の反応の仕方をします。子どもは刺激を受けると、その刺激に子どもの持つ本能や、子どもの持つ情動や、それまでに子どもが経験したやり方で、反射的に反応して行動しています。
大人にも子どもと同じような反射的に反応して行う行動がたくさんありますが、意識に上らないので気づきません。大人は刺激を認識して、意識的に反応したことだけを覚えています。大人は子どもも刺激を認識して、意識的に反応できると考えています。子どもには難しいかできないことを子どもにもできると信じ込んでいますから、大人は子どもの心がわからないのです。大人の思いを子どもに押しつけようとしています。
子どもは刺激に素直に反応して行動します。子どもが刺激を受けた場合、その刺激を求めて子どもなりに納得しようとする場合と、その刺激から逃げようとする場合があります。またある人には刺激でも、その子どもには無反応な刺激もあります。そのような無反応の刺激の場合は、その子どもにとって刺激とはいわないです。
子どもが刺激を受けて、その刺激を求めて納得しようとする行動には発展性があります。その刺激を求めてその子どもなりに納得できたなら、子どもは次の刺激を求めて行動するからです。その刺激が求めて納得できないときには、その子どもなりの工夫をしてその刺激を求めてその子どもなりに納得しようとしますから、その子どもなりの納得しようとする工夫が子どもの知識となり、子どもの能力を高めます。
子どもが逃げようとする子どもにとって辛い刺激についてです。子どもはまずその辛い刺激から逃げ出そうとします。その辛い刺激から逃げられたら子どもの心が傷つく(恐怖の条件刺激を学習する)ことはありません。その辛い刺激から子どもが逃げられないときには、子どもは暴れたり、大人から見て問題行動を取ります。子どもが辛い刺激から逃げられなくて、また暴れられないときには、子どもは辛い病気の症状を出します。これらの子どもが辛い刺激について示す反応はほ乳類の動物と共通です。
子どもにとって辛い刺激が大人からもたらされるとき、そしてその大人からその子どもが逃げられないとき、子どもはいわゆるよい子を演じます。よい子を演じるとは、大人から辛い刺激を受けたとき、その子どもらしい反応からの行動をしないで、辛い刺激を与える大人の希望に添って行動をすることをいいます。一見意識的な行動のように見えますが、子どもがそれまでに学習した行動を回避行動として、無意識に行っています。
大人から見たら好ましい行動をするので、その大人はその子どもに良いことをしていると判断しますが、子どもは無理をしてよい子の行動をしています。その無理をその大人がいなくなったときに子どもは何かの形で埋め合わせようとします。何かの形で埋め合わせようとするとき、その子どもは自分に辛い刺激を与えた大人の嫌がるような行動をする場合が多いです。社会的に問題になるような行動になってしまう場合もあります。
子どもの反応の仕方を子どもの辛さの程度に沿って順番にまとめます。子どもが辛くなるとまずその辛さから逃げようとします。逃げられないときにはよい子を演じます。逃げられなくて、よい子を演じていたのによい子も演じられなくなると、子どもは暴れたり、問題行動を起こすようになります。逃げられなくて、よい子を演じられなくなって、暴れたり問題行動もできないときには、子どもはいわゆる自律神経症状を出します。それでも辛さが解消できないときには精神症状を出します。
子どもがよい子を演じている段階では、大人は子どもが辛い状態にあるとは気づきません。それどころか子どもが好ましい状態にあると判断する場合が多いです。子どもがよい子を演じていて、それ以上よい子を演じられなくなって、子どもが暴れたり問題行動を起こした段階で大人は子どもの異常に気づきます。多くの大人は暴れる子どもが問題だ、問題行動を起こした子どもに問題があると考えます。子どもが辛くて、その辛さから逃げられなくて、よい子も演じられなくなって、どうにもできなくて暴れたのだと、問題行動を起こしたのだとは考えません。
大人の力が強くて子どもが暴れられない場合、子どもの性格から問題行動をできない場合、子どもは頭痛や腹痛などの神経症状(自律神経の症状)を出します。この場合も多くの大人は子どもが辛い状態にあるとは考えません。子どもが病気ではないかと考えて子どもを病院に連れて行きます。この段階ですと医者も子どもが病気でないことに気づくことが多いです。
子どもがもっと辛いとこの自律神経の症状と一緒に気分が落ち込んで鬱状態になるとか、見えない物が見えたり、聞こえない音が聞こえたりするようになります。この状態になると医者も精神病だと誤診するようになります。親が子どもの辛い状態を心の病だと理解したときには、子どもを辛くしている刺激から子どもを守ろうとしないで、医者の言う病気を一生懸命治そうとします。それは子どもの訴えとは異なったことになり、ますます子どもは辛くなり病気の症状を強くしていきます。子どもを守ることができなくなります。
子どもの行動は内的な欲求から起こす行動と、受けた刺激に反応して起こす行動とがあります。子どもの場合大人と同じような思考活動からの行動はほとんどみられません。辛い状態にある(弱者の)子どもの場合、子どもの行動のほとんどすべてが受けた刺激に反応して起こす行動と考えて間違いありません。
子どもは言葉を話しますが、その心はとても動物に近いです。刺激を受けたときの子どもの行動も動物の行動から得られた知識で理解が可能です。子どもがある刺激を受けたとき、その刺激を求めようとするかその刺激から逃げようとするか、またその行動の強さはどうなるかを式で示してみます。
受けた刺激に子どもがその時点で強い魅力を感じているときにはその刺激に近づいていき、その刺激を得てその子どもなりに納得しようとします。例えばお菓子のような物を考えてください。受けた刺激がどの時点で子どもに辛さを与える物でしたら、子どもはその刺激から逃げようとします。例えば蛇のような物を考えてください。子どもにとって魅力的な刺激であり、また同時に辛い刺激という物があります。例えば不登校の子どもについての学校です。学校は子どもにとってとても魅力的な物です。けれど不登校の子どもは学校を見たり意識したりするととても辛くなります。不登校の子どもは学校という刺激が魅力以上に辛いから学校に行こうとしません。
子どもが過去にその刺激に対してどのような反応仕方をしたかという経験を意識はしないけれど思い出して行動しようともします。例えばお風呂にはいるときに、子どもはすぐに真っ裸になります。当たり前といえば当たり前ですが、風呂にはいるときにはいつも裸になっていたから、子どもは裸になって風呂に入ります。不登校の子どもについては、学校が辛くなっていますから学校に行けないのですが、今まで毎朝学校に行く習慣を身につけていますから、学校が辛くても学校に行こうとします。
子どもが刺激を受けたとき、その刺激について自分に影響を与える大人の思いや期待を感じて行動しようとします。例えば子どもが手伝いをしたとき、その手伝いを褒められるとそれ以後ますますその手伝いをするようになります。不登校の子どもは学校が辛くて学校には行けないのですが、親が学校に行って欲しいと願っている思いを感じ取って、無理をして学校に行こうとします。このようなとき子どもへの影響の大きさで一番大きいのは母親です。
父親は母親と比べてずっと影響が少ないですが、弱者の子どもは受けた刺激によって父親に強制力を持った圧力を感じる場合があります。実際には強制されているのではないですが、子どもは強制されているように感じてしまうのです。その他の大人は子どもにはそれほどの影響を与えませんが、既に人について辛い思いを感じるようになった子どもは、その他の大人についても影響を強く受けるようになります。学校の先生はその他の大人に属しますが、母親を通して子どもに影響を強く与えます。
大昔から人は心についていろいろな思いを持ってきました。現在では人が主観的に意識経験できる領域を心(精神)といっています。人には心があって(人間以外の動植物や無生物までに心の存在を信じている人がいます)その心が脳に作用を及ぼして人は反応したり行動したりしていると考えられています。人の意識活動そのものがその人の心(精神世界)だと信じられています。大人は意識的に行動が可能ですから、このような考え方が定着しています。意識活動の範囲(精神世界)が心であり、意識活動以外の人の反応の仕方(潜在意識)は人が持つ習性として理解しています。
大人は自分たちが持っている心の概念を子どもに当てはめて、子どもの心を理解しようとしています。しかし大人の持っている心の概念を修正して子どもに当てはめても、その大人の持っている心の概念で子どもの心を説明するには大変に難しいです。それでも多くの大人は子どもの心を理解したつもりで子どもに関わっていますし、問題行動を起こした子どもたちへもこの大人の心からの対応法を子どもに押しつけて、子どもたちをますます苦しめています。
子どもには大人のような思考判断や思考行動はないか大変に難しいです。子どもは受けた刺激に単純に反応しているだけです。一見大人がする思考行動のような反応をする場合がありますが、それもその子どもがそのときまでに経験した反応の仕方を繰り返したにすぎません。子どもが受けた刺激を処理して反応する方法を処理するところは子どもの脳です。ですから子どもの心を理解したいなら、その子どもの脳の中にある情報と脳の働き方を理解して考える必要があります。子どもの場合の心とは脳の機能と考えられます。脳の中にある情報と脳の働き方を考えるとき、脳は大きく四つに分けられます。
受けた刺激に対して生命を守るための脳です。その反応は不随意筋や自律神経、ホルモンに影響を与えます。表情やとっさの行動は情動の心からの反応である場合が多いです。感情として理解される物は情動反応の一つです。生まれてから自我が成立する三四歳ぐらいまでに、主として母親をまねすることでできあがっていきます。それを超えると情動の心の中の情報を変えることは大変に難しいです。子どもについて、情動の心ができあがってから情動の心にある情報が変更されてしまう場合とは、恐怖を生じる条件刺激を学習した場合だけのようです。情動の心の情報は大きく分けて接近系と回避系に分けて考えることが可能です。
必要に応じて言葉(音を含む)や文字(絵を含む)で表現できる記憶(陳述記憶、宣言的記憶)が蓄えられています。学校の勉強や経験で得た知識が蓄えられています。学校の勉強は主としてこの心の情報を増やすことを目的にしています。当然子どもは大人に比べてこの心の情報が少ないです。
刺激を受けたときの刺激によって体がどのように反応するのかその反応の仕方の情報が蓄えられています。体の動かし方の情報は経験で増えていきますが、子どもでもかなり大人に近い情報量を持っているように思われます。子どもと大人との違いは主として反応の心の情報を表現する骨格の大きさや筋力の違いから生じているように思われます。反応の心にある情報は子どもの場合、反射や情動により表出されます。大人のような意識的に表出されることはまずないと考えて間違いないです。
いくつかの陳述記憶を加工して新たな情報を作り記憶するとともに、反応の心にある反応の仕方と結びつけて(思考活動)、実際に反応するための脳です。大人の脳と子どもの脳との大きな違いはこの思考の心にあります。子どもではこの脳が十分に機能していません。子どもでは既に知識の心にある情報と反応の心にある情報とが結びついている(連合している)情報は、知識の心の情報から反応が可能ですが、知識の心にある情報を加工したり、知識の心にある情報から新たに反応の心にある情報と結びつけることはできません。
それができるようになるには前頭前野の成熟を待って前頭前野を思考活動に使う練習をする必要があります。前頭前野の成熟は思春期を超えた頃になるようです。成熟した前頭前野を用いて思考活動を繰り返し練習することで、大人としての思考が可能になってきます。それは早くても二十歳過ぎ、遅い人では二十歳代の後半になる場合もあります。
元気な子供(情動の心において接近系が強く働いている子供)は大人の思いを押しつけても、その大人の思いを子供は受け入れて成長してくれます。よい子を演じていても、その辛さ以上の喜びを得ていますから、子どもはよい子を演じ続けられます。(強者の論理)
辛い状態の子供(情動の心において回避系が強く働いている子供)には大人の思いを押しつけたら、子供はますます回避行動を強くして、接近系の行動が出てこなくなります。回避行動を起こすような子どもに、その子供を辛くする刺激をさけて、その子供の自然発生的な意欲がわいてくるようにすること(心のエネルギー)を大切にする必要があります。(弱者の論理)
大人は思考の心で情動の心を抑えつけたり調節したりして、つまり意識的に感情を抑えて、今まで持っている知識の心の中の情報を加工して、その加工した知識を用いて(いろいろと思案して分析した結果から)反応の心の中の情報を選んで(行動の仕方を考えて)行動を行うことができます。それ故に思考の心で情動の心を抑えられない人は感情的とか、子供っぽいと感じられる大人になります。思考の心で情動の心を上手に抑えられる人は理性的とかしっかりした大人として理解されます。
子どもの場合、思考の心で情動の心を調節できません。また思考活動も下手で、反応の心にある情報と結びついていない(連合していない)知識の心にある情報から行動もできません。子どもは受けた刺激と結びついた反応の心にある情報から(刺激に連合した反応の仕方から)反射的に行動する(過去の経験と同じように行動する)か、受けた刺激から生じる情動と結びついた反応の心の情報(感情的な行動)から反応して行動をします。
強者の子供であろうと、弱者の子供であろうと、その両方の要素を持った子供であろうと、子供の心に沿った対応をするには、子供の心を子供に沿って(子どもが持っている脳の機能や脳内の情報に沿って)理解する必要があります。具体的な子供の心に沿った対応はその子供によって異なります。
情動の心は既に大人と同じ機能をしています。の状態が子供の心の状態を決める大きな要素であることが、大人との違いです。情動により受けた刺激についての反応が決まることが多いからです。受けた刺激は情動で処理されて、過去の経験からその反応が反応の心の中から選択されて表出され、実際の行動になります。一見子供の思考反応のように思われるますが、情動反応からの反応と行動です。
知識の心の情報が大人に比べて子供は少ないです。それは経験量が大人に比べて少ないからであり、大人は理解できる事実です。この知識の心の情報を増やすために、子供は学校で勉強をすることを要求されています。
反応の心の情報が大人に比べて子供は少ないです。それも子供の経験量が大人に比べて少ないからです。けれど子供を観察する限り、子供は大人に近い反応の心の情報量を持っています。ただし反応の心の情報を表現するための体力が大人に比べて劣っているから、大人のような表現ができないように感じています。子供によっては、ときには大人に近い能力を持っている場合がありますし、大人以上の能力を発揮する場合もあります。
思考の心は子供では働いていないか働きが悪いと考えられます。この思考の心の機能が大人の心との大きな違いと考えると、子供の行動や反応をよく説明できます。また子供が思考の心から反応して行動したように見える場合もありますが、その行動ですら同一環境下での経験が選択されただけであり、それがあたかも思考のように理解される場合です。
子どもでは知識の心の中の情報を増やすことはできます。また反応の心の中の情報を増やすこともできます。けれど大人と違って子どもは思考の心が情報の心と反応の心を結びつけることができないか難しいです。つまり子どもでは考えただけ、思い出しただけでは行動ができません。考えたり思い出したりして行動するためには、そのための経験や練習が必要です。大人では考えたり思いついただけで行動ができるから、子どももそれができると考えがちです。子どもに無理な要求をしがちになります。
接近系;何かを得ようとする行動であり、その何かを求める度合いをエネルギー、動機といいます。主として接近系が働いている子供を元気な子供、エネルギーがある子供と評価します。
回避系;何かから逃げようとする行動です。その逃げようとする行動を回避行動といいます。回避行動そのものは基本的に本能的な行動です。嫌悪刺激を受けたときどのような回避行動を取るのか、それは経験に依存しています。その回避行動にいくら物理的なエネルギーを使っても、その状態を心の意味でのエネルギーがあるとは言いません。それは単なる反応であり、一時的な回避行動であり、将来子供の能力を伸ばす行動を生じる動機ではないからです。破壊的であり、建設的な発展性が無いからです。
情動は絶えず接近系ばかり、絶えず回避系ばかり働いているのではないです。瞬間、瞬間で接近系が働いたり回避系が働いたり、どちらも働いていない場合があります。総和として接近系が働いているか回避系が働いているかという事実がとても大切です。
登校拒否不登校で学校へ行こうとしない行かない子供達は、決して学校をずるして休もうとしているわけではない。学校に恐怖を感じて、学校にいると不安や苦しさを感じて、それに耐えきれないから、学校を回避するのである。
登校拒否研究室では、子供の立場から、登校拒否を中心にして、いろいろな子供の問題を考えようとしています。判断の基準は、思い付きや経験に頼らないで、脳科学を大胆に当てはめています。多くの方の御意見をお待ちしています。

 

[ 496] 受信・拒否設定 | お知らせ | NTTドコモ
[引用サイト]  http://www.nttdocomo.co.jp/info/spam_mail/measure/domain/

迷惑メールの送信元アドレスは、架空のアドレスになりすましている場合が多く、また送信のたびに変更されている場合が多いため、受信/拒否設定でなりすましメールの拒否設定や、個別に受信したいドメインまたはアドレスを登録することをおすすめします。
迷惑メールだけでなく、メーリングリストや、プロバイダーなどのメール転送サービスを経由したメールなども、なりすましメール扱いになります。受信したい場合は「宛先指定受信」にて登録することで、なりすましメール対策を設定していても受信可能になります。
「なりすましメール」とみなされてしまうメーリングリストやメール転送サービスを経由したメールを受信設定することが可能です。
拒否設定した携帯電話・PHS会社であっても、パソコンからのメールを拒否設定しても、個別に受信したいメールアドレスを設定することで、そのアドレスからのメールを受信することが可能です。
受信設定した携帯電話・PHS会社であっても、パソコンからのメールを受信設定しても、個別に拒否したいメールアドレスを設定することで、そのアドレスからのメールを拒否することが可能です。
パソコンから送信された迷惑メールの送信元アドレスが、携帯・PHSドメインになりすましたメールや、他のアドレスになりすましたメールを拒否することが可能です。
受信/拒否設定の受信設定と未承諾広告メール拒否/iモードメール大量送信者からのメール受信制限を同時設定している場合は未承諾広告メール拒否/iモードメール大量送信者からのメール受信制限を優先します。
以下のメールは、インターネットにチェックを入れるか、個別に受信したいドメイン、またはメールアドレスとして設定してください。
受信設定したドメインやアドレスは、後方一致のため、それらから送信したようにみえる「迷惑メール」も受信する可能性がありますので、あらかじめご了承ください。
iモードメニューサイトのご利用に際し、ご利用の内容確認などをメールにて行う場合がありますので、これらのメールを受信するために、各サイトのドメインやメールアドレスなどを指定してご利用ください。
受信/拒否設定では、チェックボックスにより携帯電話・PHS各社のドメインを指定できますので、以下の携帯電話・PHSのドメインの設定は不要です。設定すると、携帯電話・PHSから送信したようにみえる迷惑メールが届いてしまいますのでご注意ください。既に受信/拒否設定をご利用されているお客様は、以下のドメイン一覧をご確認のうえ、「個別に受信したいアドレス・ドメイン欄」に入力されている場合は解除してください。
お知らせ迷惑メールでお困りの方へ対策一覧受信・拒否設定メールアドレス変更シークレットコード登録メール選択受信iモードメール大量送信者からのメール受信制限未承諾広告※拒否ショートメール拒否設定SMS拒否設定URL付きメール拒否設定かんたんメール設定

 

[ 497] 拒否権 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%92%E5%90%A6%E6%A8%A9

拒否権(きょひけん)とは、ある事柄について拒否(断ること)する権利を言う。この意味での用例としては供述拒否権がある。
政治の世界で拒否権と言う場合には、さらに意味が限定され、政策決定の際に、決議された法律、提案された決議、締結された条約その他を一方的に拒否できる特権を意味することが多い。
日本の地方自治においては、首長(都道府県知事や市町村長・特別区の区長)が議会の議決に異議がある場合、再議に付すことができると規定されており(地方自治法第176条)、これを一般的に拒否権の行使と言うことがある。
国際連合の国際連合安全保障理事会では、実質事項について決議が有効となるには、理事国15ヶ国のうち、常任理事国全てを含む過半数(非常任理事国3国)の賛成を要する。大国の反対により理事会決定の実効性が失われることを防ぐ事(大国一致の原則)を趣旨とするものであるが、逆に常任理事国一国の反対で理事会において決議案が否決される事も多々あるため、大国のエゴ(同盟国擁護の為のものを含む)を通すためだけの規定との批判もある。2006年4月現在アメリカ合衆国、イギリス、中国、フランス、ロシアの5ヶ国に与えられている。冷戦期にはアメリカ・ソ連がたびたび拒否権を行使し、国際政治の停滞を招いたとの批判も根強い。
古代ローマの政務官は護民官に限定されず全ての政務官が拒否権を保有していた。基本的に複数人制の各政務官は同僚の決定に対して拒否権を行使することができ、上位の政務官は下位の政務官の決定を拒否することもできた。同僚を持たない独裁官は下位の全ての政務官に拒否権を使用できる強力な官職であり、それゆえ半年と任期が制限されていた。護民官はその設立経緯からも特殊な官職であり独裁官を除く全ての政務官に拒否権を行使することが可能であった。それだけではなく護民官の主要任務はこうした拒否権を使用した「否定」の作用でありそれゆえ拒否権は護民官の名と共に語られることが多い。クァエストルは最も下位の官職であり他の政務官への拒否権は持たなかった。
大統領がこの法案を承認しない場合は、法案には署名せずに、承認できない理由を明記した別書を添えて、日曜を除いた十日以内に議会に差し戻す。
その場合、議会は大統領が承認できない理由を十分に考慮したうえで、必要に応じて法案に修正を加えた上で大統領に再送付するか、または
議会の両院で3分の2の多数の支持を得ることは至難の業であり、拒否権が覆された割合は10%を下回っている[1]。
拒否権を最も多用した大統領は第33代のフランクリン・ルーズベルトで、12年間の在任中に635回[要出典]も行使している。逆に第3代のトーマス・ジェファーソンは、8年間の在任中に一度も行使していない。現在のブッシュ大統領はこれまでに3度拒否権を行使している。1度目は2006年7月にES細胞法案に、2度目は2007年5月1日にイラク派遣部隊の撤退期限を持つ予算法案に、3度目は2008年3月8日にテロ被疑者に対する、ウォーターボーディング(水責め)などの拷問を禁止する法案に拒否権を行使した。
会社法では、株主総会の決議に対して拒否権のある株式[2]を発行することができ、これを実務上黄金株と呼ぶ。発行する場合は通常1株だけ発行され、譲渡制限が付けられることもある。
黄金株は経営安定化や買収防衛に有効とされるが、株主平等の原則上問題があるため、上場企業に対しては黄金株の発行に規制がかかっている。
^ 株主総会において決議すべき事項のうち、当該決議の他、当該種類の株式の種類株主を構成員とする種類株主総会の決議がある事を必要とするもの(会社法108条1項8号)
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[ 498] 良心的兵役拒否 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%85%B5%E5%BD%B9%E6%8B%92%E5%90%A6

良心的兵役拒否は宗教の信条に基づくものが多くを占めるが、民族や、政治的、哲学的な背景に基づくこともある。また、政府の外交・軍事政策に反対して拒否する者もいる。
良心的兵役拒否を行う者は義務兵役年齢に達した時点で兵役忌避を申請するのがほとんどだが、軍務中や戦争中に兵役を中断して拒否する場合もある。
スイス・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・デンマーク・ドイツ・ギリシャ・ロシア・ポーランド・ブルガリア・アルバニア・クロアチア・オーストリア・キプロス
中国(「青年は何らかの形で武装警察、あるいは現役の正規軍に任務につき、任務後は民兵の任務につく」と規定されているが、人口が多いこともあり、事実上、志願兵だけで人民解放軍の定員を充足しており、徴兵は行われていない。)
アイスランド・コスタリカ(軍の再編成権は認められている)・日本(日本国憲法第9条で軍隊は存在しないことになっているが、自衛隊が存在する)・リヒテンシュタイン・モナコ(フランスに委任・ただし国家憲兵隊は存在する)・アンドラ(フランス・スペインに委任)・バチカン
良心的兵役拒否は強制的な兵役を導入した時から存在しているが、合法的に認められるようになったのは、21世紀の直前のことであった。その理論的支柱となったのが基本的人権の「良心の自由」の思想であった。 しかし、良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会 (CoE) のような国際機関では基本的人権として認知され、推奨されているが、多くの国々で法的基盤がないのも事実である。外務省やCIA World Fact Bookの資料によると、現在の地球上では、軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国に徴兵制度が存在するが、そのうちの30カ国しか法的な対策を取っておらず、そのうちの25カ国はヨーロッパ諸国が占めている。ギリシャ、キプロス、トルコ、フィンランド、ロシアを除くヨーロッパの徴兵制度を持つ国は、多かれ少なかれ良心的兵役拒否に関する国際的指針を満たしている。
ヨーロッパ以外の多くの国、とりわけ戦闘激化地域(イスラエル/パレスチナ、コンゴ)では、良心的兵役拒否は死刑(第二次世界大戦時に後方部隊への異動を願い出てたものの、却下されて脱走を図ったアメリカ兵エドワード・スロヴィクなど数多くの「死にたくない」という自然で素朴な本能的欲求に従って軍務を離脱した人間が軍法会議で銃殺刑に処されて殺された)など厳罰となる(ただし、イスラエルは女性は良心的兵役拒否が可能)。
良心的兵役拒否者は、かつて、国賊、売国奴、脱走兵、反逆者、臆病者、のろま等々、屈辱的な言葉で罵倒され侮蔑される非国民と見られ、極刑を以って罰されるなど、ありとあらゆる差別・抑圧・迫害を受けてきた。
しかし、ヨーロッパにおいて、ここ数十年のうちに急激に変化を起こしている。 とりわけ良心的兵役拒否者が代替条件で市民労役を命じられている国では、徴集兵と同様、労役は社会貢献をしていると解釈されている。同時に、兵役拒否者数に上昇もみられている。ドイツでは良心を理由に兵役は拒否出来ることが法律で定められており、その代わり13ヶ月間の社会福祉活動が義務づけられる。同国では、「良心的兵役拒否者」数が2003年(平成15)には兵役につく者の数を上まわり、老人介護等の社会福祉事業は、これらの「民間奉仕義務(Zivildienst)」なしには成立し得ないと言われている。
米国ではもともと、南北戦争(1860年〜1865年)の時代から良心的兵役拒否を認めており、第一次世界大戦では「宗教的兵役拒否」という言葉も生まれた。これらの背景には、教理上、戦争を否定するブレズレン(フレンド派)、メノナイト、クエーカー(友会)など「平和教会」と呼ばれる教派の存在がある。キリスト教の中では少数派の「平和教会」は、非暴力と非戦主義に関して社会に大きな貢献をした。第二次世界大戦中、全米で1万2千人が兵役を拒否し、兵役の代替業務である市民公共サービス (CPS) に従事した。そして「平和教会」を中心に、拒否者を支える全国支援会議が組織され、経費や業務の面で政府と協力してCPSの制度が実施されていた。
良心的兵役拒否の現代における思想は、「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」というプロテスタントのキリスト教信仰に起源を有している。それゆえに最初の拒否法の規定が、1900年にキリスト教のプロテスタント教国のノルウェーで紹介されたことは驚くべきことではない(デンマークとスウェーデンが1917年と1921年に後に続いた)。続く20数年の間に、ヨーロッパの他のプロテスタント教国も徐々に信者が良心的兵役拒否をする権利を認めるようになった。カトリック教国では個人の罪や国家に対する忠誠に関わる、異なる見解ゆえに、50年を経て1963年にフランスやルクセンブルグで始まった。
冷戦下の欧州で、西側諸国での良心的兵役拒否者の立場は認められたが、多くの東側諸国はレーニンの意見を無視し良心的兵役拒否を認めなかった(東ドイツやソビエト連邦では事実上、良心的兵役拒否が認められていた)。冷戦終結後には、多くの東欧諸国が良心的兵役拒否を認めるようになった。
特殊なケースとして挙げられるのが正教会の伝統を持つギリシャである。ギリシャには伝統的に道徳的義務として国家に対する国民の不滅の忠誠と「正当防衛」がある。ギリシャは良心的兵役拒否と代替労役に関する法を有するヨーロッパの数少ない国の一つである。最近のヨーロッパで良心的兵役拒否の権利を認めたのは2003年のセルビア・モンテネグロが挙げられる。
ドイツは徴兵制廃止論が活発化している。少子化の進行による18歳人口の減少によって、「平等な負担」が貫徹できなくなったことも原因だ。2010年末までに、18歳人口の23%しか召集されない計算になる。兵役義務は、「同年齢の男性が平等にこの義務を果たす」ことが建前である。これを「防衛公平」(Wehrgerechtigkeit)という。兵役拒否者は、代替役務という福祉や救急などの仕事に就く。これで兵役を果たしたものとみなされる。1970年には18歳人口の40%が兵役に、25%が民間役務に就き、35%は何にも就かなかった。兵役に就く割合は減少を続け、現在20%前半に落ち込んでいる。平等な負担が貫徹できず、2割しか義務を果たさないのでは、もはや「一般」兵役義務と言えない。ヴァイツゼッカー元大統領を長とする防衛改革委員会は、3万人の基本兵役者を確保する「選択的徴兵制」を提言した。高報酬が約束された、限りなく志願制に近い構想である。現在、連邦議会の5会派中3会派が徴兵制廃止の立場に立っている。社民党(SPD)でも、複数の州議長が兵役義務廃止を公然と主張した。そうしたなか、連邦憲法裁判所が兵役義務を合憲とする決定を下した。33歳になる一人の兵役拒否者の事件である。旧東独ブランデンブルク州に住むこの男性は、旧東独時代に兵役拒否し、代替役務の「建設部隊」勤務も拒否した。さらに統一後、ドイツ連邦軍に召集されたが、良心的兵役拒否の手続をとり、これが認められると、民間役務(代替役務)に就くことも拒否した。福祉現場で働いても、それは兵役義務の「代替」にほかならないというのが理由である。この種の人々を「全体拒否者」(Totalverweigerer)という。全体拒否は違法で、懲役か罰金が科せられる。男性は起訴され、一審のポツダム区裁判所は1500マルクの罰金を言い渡した。男性はブランデンブルク州裁判所に控訴。州裁判所は99年、兵役義務法は「変化した政治的諸条件のもとではもはや合憲でない」と確信するに至ったため、訴訟手続を中断し、憲法裁に対して、合憲性に関する意見提示決定(Vorlagebeschluss)を求めた。州裁判所は、「ドイツは1994年8月に最後のロシア軍部隊が撤退したことにより、脅威にさらされていない」のであって、兵役義務制は基本権に対する「比例原則違反の侵害」を構成するに至ったという。そして、憲法裁は兵役義務を合憲とし、州裁判所の意見提示を「許されない」として退けた。決定は、従来の判例は兵役義務を合憲としてきており、改めて比例原則に即して判断する余地はないと指摘。さらに、州裁判所が「兵役義務を維持する他の諸理由が存在することを看過している」として、その例としてNATOの同盟義務を挙げる。そして、立法者には兵役義務制か志願制かについて開かれた選択肢があり、それは、防衛政策的観点からだけでなく、経済・社会政策的な理由もさまざまに評価・考量しながら行われる国家政策的決断であるとしている(1978年憲法裁判決参照)。憲法裁が、立法者には志願制への選択肢も開かれていること、兵役義務廃止も立法者のフリーハンドであることを確認したことは実に政治的である。他方、福祉施設はツィヴィ(Zivildienst)と呼ばれる民間役務者によって支えられているから、兵役が廃止されると民間役務者がいなくなり、福祉施設は存立の危機に陥る。兵役廃止問題は、安全保障問題にとどまらない、国家・社会的問題であるというのはそういうことを含意してのことだろう(ただ、福祉分野を「代役」によってでなく、若者に一定期間担わせる「本役」〔一般役務義務〕構想もある)。
第二次世界大戦中、良心的兵役拒否は、とりわけナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにおいて反戦とレジスタンスの危険な形態の一つであった。日本においても、灯台社の明石順三が兵役を拒否して、特別高等警察に逮捕・収監された。
徴兵制度のある大韓民国においては2004年に良心的兵役拒否者が地方裁判所では無罪になったが、最高裁判所・憲法裁判所で有罪の判決を受けた。かつて韓国での兵役拒否者は、エホバの証人の信者に限られたが、現在は、02年2月に30の市民団体で構成された「良心的兵役拒否権と代替服務制のための連帯会議」なども結成されている。また、国防部の発表によると、現役ではなく公益勤務要員、作業機能要員および専門研究要員、義務警察官、戦闘警察官、海洋警察、警備矯導隊、義務消防隊など約6万人に及ぶ代替服務制度も段階的に縮小して廃止し、重症の身体障害者を除いてはボランティアの形で服務する社会服務制を導入する方針。 ちなみに、韓国での兵役法違反者の量刑は、懲役1年6ヶ月が相場である。
台湾では民進党が政権を握ってから、良心的兵役拒否が合法化・制度化されており、介護・医療・消防・警察などの代替役務をこなすことで兵役を果たしたと見なされるようになっている(参考:代替役)。

 

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